如儡子の「百人一首」注釈

        ―京大本『百人一首註解』との関係―

 

深 沢  秋 男

 

   目  次

 

 一、京大本『百人一首註解』の書誌

 二、京大本『百人一首註解』の書誌的問題点

  1、十七番歌・在原業平朝臣の脱文について

  2、配列について

 三、乾安代氏の『百人一首註解』解説

 四、異同からみた『百人一首註解』の位置

  1、序説について

  2、その他の異同について

   〔1〕『酔玉集』の省略・脱落

   〔2〕『百人一首鈔』の省略・脱落

   〔3〕長文の異同

 五、まとめ

 

 

 

 如儡子の「百人一首」注釈に関しては、これまでも何度か考察を加えてきたが、『百人一首鈔』と『酔玉集』の関係について分析の過程で、京都大学附属図書館所蔵の『百人一首註解』が、如儡子の「百人一首」注釈の一本である事が判明した。京大本『百人一首註解』は、島津忠夫氏、乾安代氏によって校訂・刊行された(百人一首注釈書叢刊・15、平成10年2月28日、和泉書院発行)。本稿では、この京大本『百人一首注解』について分析・考察を加え、その位置付けを試みたいと思うが、島津・乾両氏の御研究に負うところが大きい。まず、この学恩に感謝して、考察に入りたい。

 書誌についても、同書の解題で乾氏が記しておられるが、私の調査と多少異なる点もあるので、これをまず報告する。

 

  一、京大本『百人一首註解』の書誌

 

所 在 京都大学附属図書館蔵(請求記号=4−23 ヒ6。登録番号=32758。平成10年11月20日調査) 。

体 裁 半紙本、上・下 2冊、写本、袋綴じ。

表 紙 縹色原表紙、縦二四一ミリ×横一七二ミリ(上)、縦二四二ミリ×横一七一ミリ(下)。〔本書は近世中期頃の書写と思われ、この表紙は虫損などの状態から考えて書写段階からのものと判断した〕。

題 簽 左肩に書題簽、白紙に文字は墨書。

    「百人一首註解 上」縦一五六ミリ×横二七ミリ。

    「百人一首註解 下」縦一五八ミリ×横二七ミリ。

目録題・内題・尾題 無し。

匡 郭 無し。一行の字の高さは、多くは二一〇ミリ前後で、最も高いものは二二〇ミリ位。

丁 付 無し。

丁 数 上=七六丁、下=六三丁、合計=一三九丁。

行 数 序説=毎半葉十二行〜十四行。

    本文=毎半葉十一行〜十四行。

字 数 序説=二十四字前後(7行目以下は1字下げ)。

    本文=二十三字前後。

内 容 「百人一首」の注釈。

    上=序説・天智天皇〜藤原義孝の五十首を収録。

    下=藤原実方〜順徳院の五十首を収録。

    歌の配列は、一般の「百人一首」と同様であるが、八十八番歌以下が異なる配列となっている。

     88皇嘉門院別当、89前大僧正慈円、90入道前太政大臣、

     91後京極摂政太政大臣、92、二条院讃岐、93鎌倉右大臣、

     94参議雅経、95式子内親王、96殷冨門院大輔、97権中納

     言定家、98正三位家隆、99後鳥羽院御製、10順徳院御製。

本 文 漢字交じり平仮名(一部片仮名2行割書き)。振仮名をまれに施す。濁点を付すが句読点は無い。歌人名は大字三字前後下げ。歌は二字下げとし、二行書きで下の句は更に二字下げとしている。

序 説 上の1丁〜2丁に自序あり。

跋   無し。

奥 書 無し。

書込等 上の前表紙、題簽の右に白紙(縦九六ミリ×横一八ミリ)を貼付、墨書にて「れ百三拾弐」とある。下の後見返しのノドの下寄りに墨書にて「九拾軒町」とある。

蔵書印 「京都帝国大学図書之印」(五〇ミリ×五〇ミリ)陽刻方形朱印。「○明治三二・四・一二購求/京大図」(径二一ミリ)陽刻円形朱印。「32758」の紫スタンプ。

その他 十七番歌・在原業平朝臣の注釈は3行と7字で以後は空白となっている。

 

 

 

  二、京大本『百人一首註解』の書誌的問題点

 

 1、十七番歌・在原業平朝臣の脱文について

 

 三十三丁ウは、十六番歌の末尾2行に続き、

 「    在原業平朝臣

   ちはやふる神代もきかす龍田川

     からくれなひに水くゝるとは

 ちはやふるとはむかし地神五代目の帝天照太神の

 御弟素戔嗚尊国をあらそひ給ふ事ありしに

 太神御心にすます覚しめし天の岩戸へ引籠せ

 給へは月日光り               」

 とあり、以後、3行程空白となっていて、後続の文が脱落してい

る。三十四丁オの1行目は、十八番歌・藤原敏行朝臣となっている。

 この条の『酔玉集』(国会図書館蔵)は、

 「    在原業平朝臣(伝記省略)

 千早振神代もきかず龍田河からくれなゐに水くゝるとは/

 ちはやとかきてちわやとよむへし千早振とは/(21オ)むかし地神五代めの帝天照太神御兄のそさのを/のみことゝ国を諍給ふ事有しに太神御心に/すまずおほしめし天の岩戸へひきこもらせ/給へは月日の光をうしなひ此世界長夜の闇と/なる八百万の神たちこれを嘆かなしみ岩戸のまてに/て神楽をそうしなとして天照太神の御心を/なくさめたてまつり出御を侘申給ひける時ちはやの/袖を振翻給ひしより今の世までに至りて神といひ/けん枕詞にもちゆるなりさて千早とは今の世にも/かぐら男八乙女の袖のなかき直垂のやうなるものなり/(21ウ)神世もきかすとは神代にも聞およばずといふことはな/り神代にもといふに文字を略したるてにはなり唐紅/とはいかにも色の紅の事水くゝとは紅染の絹に/つゝめる水のそのきぬをもりて出ることしといふ/詞立田の川は大和国の名所なり歌の心は龍田河秋/もすゑになりぬれば水上の山く・色こき紅葉み/な散つくして此川の流せきあへぬはかりうかひたゝ/よひたるひま/\に岩にせかれし白波のつきかへり/たる気しきさながら紅染のからきぬをもつて包/たる水もり出て涌かへり流るゝことしさてもかくゑなら/(22オ)ずおもしろきけしき風情そのかみ神変奇特不/思儀の事のみおほかりし地神五代の御宇に/も終に聞およはぬとなり心詞よくかけあひてき/めうふしきの哥なるよし申伝たり           」

とある。また、『百人一首鈔』(水戸彰考館蔵)は、

 「    在原業平朝臣(伝記省略)

  千早振神代もきかず龍田川

  からくれなゐに水くゞるとは/(53ウ)

 ちはやとかきてちわやとよむべし/千早振とは昔日地神五代めの帝/天照太神御兄そさのをの尊と国/をあらそひ給ふ事ありしに太神御/心すまずおぼしめし天の岩戸へ引籠/らせ給へば月日光を失ひ此世界/(下略)                 」

とある。

 京大本『百人一首註解』(以下『註解』と略称)は注釈の冒頭の「ちはやとかきてちわやとよむべし」を脱落させている。これは右に掲出したところからも判る通り、『百人一首鈔』(以下『鈔』と略称)の1行分である。また、『註解』が脱落させた部分は『鈔』で四二九字、『酔玉集』(以下『酔』と略称)で四二二字である。仮に『鈔』の如く毎半葉7行、1行15字とすると、1丁約二一〇字となり、2丁で四二〇字となる。漢字・仮名の異同もあるため、厳密には言えないが、『註解』は『鈔』に近い行数・字数の親本から書写し、その2丁分を脱落させたものと推測される。従って、次の十八番歌が次丁の最初の行から書かれている事も納得出来る。ただ、『注解』は注釈の4行目に7字まで書き、以下3行程空白にしているので、この誤脱は『註解』の書写者によるものではなく、その親本が既に落丁になっていたものと推測される。

 

 2、配列について

 

 『註解』の歌人の配列は、一般の「百人一首」と同様であるが、八十八番歌以下が異なっている。『酔』・『鈔』と比較して掲げると次の如くである。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・『酔玉集』     ・『百人一首注解』  ・『百人一首鈔』   ・

・皇嘉門院別当   ・皇嘉門院別当   ・殷冨門院太輔   ・

・式子内親王    ・前大僧正慈円   ・式子内親王    ・

・殷冨門院大輔   ・入道前太政大臣  ・寂蓮法師     ・

・後京極摂政太政大臣・後京極摂政太政大臣・二条院讃岐    ・

・二条院讃岐    ・二条院讃岐    ・後京極摂政大政太臣・

・鎌倉右大臣実朝  ・鎌倉右大臣    ・前大僧正慈円   ・

・参議雅経     ・参議雅経     ・参議雅経     ・

・前大僧正慈円   ・式子内親王    ・鎌倉右太臣    ・

・入道前太政大臣  ・殷冨門院大輔   ・正三位家隆    ・

・権中納言定家   ・権中納言定家   ・権中納言定家   ・

・従二位家隆    ・正三位家隆    ・入道前大政太臣  ・

・後鳥羽院     ・後鳥羽院御製   ・後鳥羽院御製   ・

・順徳院      ・順徳院御製    ・順徳院御製    ・

・奥書       ・(無し)      ・奥書       ・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 『註解』の書写状態に関しては、乾氏も、その解題で指摘されている通り、八十八番歌以下は、丁移りで次の歌になるという事は全く無く、さらに各条の末尾に空白も無い。この事から、書写者が順序を変更したというよりも、書写に使用した親本が既にこの配列になっていた可能性の方が高いと言い得る。すでに報告済みであるが、『酔』はいわゆる一般的な「百人一首」の配列であるが、『鈔』は「異本百人一首」の配列に近いものである。これに対して、『註解』は、大部分は一般的な「百人一首」の配列であるが、89式子内親王・90殷冨門院大輔と95前大僧正慈円・96入道前太政大臣とが入れ替わっている。何故このように四歌人を入れ替えたのか、その理由も未詳であるし、これと同じ配列のテキストも現在確認し得ない。今後、さらに調査したいと思う。

 

  三、乾安代氏の『百人一首註解』解説

 

 乾安代氏は、この京大本『註解』について、かなり詳細な分析を加えられている。まず、書写者については、平仮名の「は」「わ」の使い分けが恣意的であり、当て字・誤字は多く、書き損じた文字を右脇に書き直したりしている。また、歌順の誤りにも無頓着で、和歌本文や作者の表記も誤った例があり、『百人一首』の基本的な知識もあまり無い人物であろうとされている。

 さらに、一番歌、五番歌、七三番歌の誤写を例示され、京大本が、原本を親本とする転写本ではなく、原本から数回程度は転写が重ねられたものであろうと推測された。

 次に、注釈史上での位置・特徴に関して言及され、九番歌・二一番歌・七五番歌等を一例として掲出され、「つまり、二条家流の注釈を断片的に引用はしていても、その内容の吟味もあまりしないままの、言わば聞きかじり程度の引用にすぎない。」とされている。

 これはこれで、私も異論がある訳ではないが、御参考までに、二一番歌の、乾氏が引用された部分の『註解』と『鈔』(22番歌)を掲げると以下の通りである。

「此/(38オ)哥六条家にては一夜の事と講釈せらるれとも/左様に見捨は心浅きよし申伝へり或人曰此哥を/顕昭法橋はたゝ一夜のことくすまし伝れ共左様に心得/ては浅はかにして詠吟うすし定家卿の曰はつ秋の/頃□はや秋もくれ月も有明に成たりと心得へき也(略)定家曰顕昭は惣而哥を浅くみる/人也といへり」

                     (『註解』21番歌)

「此うたは六条家にては一夜の事に講/(19オ)釈せらるれどもさやうに見ては心浅きよし/申伝へりある人の曰此歌を顕昭法橋/は只一夜の事と註し侍れどもさやう心/得ては心あさはかにして詠吟うすし/定家卿の曰初秋の比よりはや秋も暮/月も有明に成たると心得べきと也(略)定家の曰顕昭はさうじてうたを/あさく見る人といへりとかや     」(20オ)(『鈔』22番歌)

『酔』も加えて、三写本を比較してみると、かなりの異同があるが、『註解』の誤りと思われる二箇所を、『鈔』→『酔』→『註解』の順に示すと、次の如くである。

 ○さやうに見ては→さやうに見すては→左様に見捨は

 ○事と註し侍れども→事と註し伝れとも→ことくすまし伝れ共

 『鈔』→『酔』→『註解』の順で誤りが多くなっている。

 さらに『鈔』には「六条家」の条に、以下の頭注を付している。(殆どの漢字に振仮名を付すが、改行の/と共に省略した。)

「六条家とは修理の太夫顕季其子息左京太夫顕輔又其子清輔顕昭法橋など也定家の父俊成卿もとは此顕輔の猶子門弟にてすでに顕広と名乗けりしかれども年さかんの後哥の躰をよく心得て金吾基俊の門弟になりて二条家の道をたてり基俊は貫之よりの伝受旧流也紀の貫之一流を二条家といふ俊成卿基俊の門弟になりてさて顕広をあらため俊成と名乗かへられたり」

 『鈔』の著者は、このように詳細な注を各所に施している。

 乾氏は、さらに続けて、二七番歌・二八番歌・四七番歌・八八番歌・九七番歌・九九番歌の記述を掲げ、他の注釈書に見られない記述のある点に本書の特徴があるとされ、二番歌・七四番歌の記述の如く、「師説」を求める姿勢を見せる一方で、四一番歌・五九番歌の如く、師説あるいは諸説に対して、「それが間違っていると判断した場合には、堂々とその説を否定し、自説を展開しているのである。つまり、本書の『百人一首』注釈史上での特徴というのは、このような独自の(正しくは独力の、というべきかもしれないが)注釈にある、ということになろう。」とされている。

 本書の成立時期・著者に関しては、四一番歌の記述を手掛かりとして推測を提出されている。(参考のため、『鈔』との異同の主なものを〔 〕の中に示した。)

「其子/さいは一とせ青蓮院尊円新〔親〕王御自筆の百人/一首の佳〔註〕本を拝見せしにも恋すてふといひ出/したる忠見か詞つつかひさりともゆうけんにして/(62ウ)一入面白とありき其後鷹井〔飛鳥井殿〕の佳〔註〕本又細川玄旨の/佳〔註〕本或は法橋昌琢兼与なとの佳本〔註訳〕み聞たりしにも/左様になし〔さはうけたまはらず〕」

 乾氏は、この記述を史実との関連で検討され、

「本書の作者が、『幽斎抄』や、昌琢・兼与の『百人一首』注釈を(その一部だけかもしれないが)参看したとするならば、それは恐らく、慶長一〇年代後半以降のことであろう。」

 と推測されている。さらに、氏は著者の検討に進み、

「むしろ注目すべきなのは、昌琢・兼与という江戸時代初期の連歌師の著作を見ているという記述にある。幕藩体制の中に組み込まれていく時期の、里村南家・猪苗代家という連歌の家の当主の注釈を、本書の作者はどのようにして手に入れたのであろうか。

  本書の作者もまた、連歌師だったのではないだろうか。  」

 と、推測、さらに、六番歌・三番歌・三五番歌・四九番歌の記述を掲出されて、あまり基礎知識のない連歌師と推測された。そして、最後に、以下の如く総括された。

「以上に述べてきたことを総合して考えると、本書の作者というのは、系統だった教えを受けるということのあまりなかった、一地方連歌師だったのではないだろうか。そしてその成立は、里村家(南家)・猪苗代家といった連歌の家が、連歌の家として確立してからそれ程間もない頃のことだったのではないだろうか。」

 右に見てきた如く、乾氏は京大本『註解』を詳細に分析・検討され、本書の書写状態、書写者、注釈書としての特徴、成立時期、著者についての推測を提出された。以下、詳しく述べるところからも分かる通り、実は、本書の原本は仮名草子作者の如儡子・斎藤親盛の著作であり、その成立は、おそらく寛永十八年十一月であろう。しかし、右の乾氏の研究が無駄であったとは、決して思わない。これが文学研究の一つの過程であり、氏の提出された見解は、今後、本書を研究してゆく上で、非常に参考になる。

 

  四、異同からみた『百人一首註解』の位置

 

 1、序説について

 

 『鈔』において、序説は次の如く書き始められている。

「抑此百首の和哥は京極黄門藤原/の定家卿古今後撰拾遺詞花千載/金葉後拾遺新古今集なとのうちをえら/みすぐりて妙なる秀哥斗をあつめ/られたり其比定家卿山城の国小倉/(1オ)山の山庄をしつらひ住れしが彼山/庄の障子に百枚の色紙をおし自/筆をもつて此百首の和哥を書/付朝夕の眼をうるをし耳をすまさ/れぬされば小倉の色紙とて今の/世までも残り伝り人/\もてなし/価かぎりなき定家の掛物これなり/(1ウ)……(下略)」

 ところが『酔』には、この前に半丁分、『註解』には6行分の文章が付加されている。実は、これは『鈔』においては頭注にあたる文章である。『鈔』は大本で、毎半葉7行、1行約15字という、ゆったりとした立派な写本であるが、序説第1葉表は、5行ドリとし、ノドに余白を設けている。この余白と上部の余白を利用して注が付されている。

「和哥の二字うたにやはらぐと読たり古き書に天地を動し目に見え/ぬ鬼神をかんじしめたけくいさめる武士の心をやはらぐるはうたの徳なりと見え/たり京極は都にあり此所に定家住給へるゆへに京極殿と申黄門は中納言/の唐名此時定家/中納言の官也定家は/名乗さだいへとよむ也/卿とは其人をもちい/あがめる時書字也但/一位二位三位のくらゐ/の人迄書べし」

 本文とは異なり小字で、これが注である事は明瞭である。この文を『酔』は冒頭の半丁に入れ、『註解』も2字ほど高くして一応区別はしているが、いずれも注の体裁を採っていない。

 さらに『鈔』は「妙なる秀哥」に「妙なる秀哥とはすぐ/れておもしろき哥と/いふ心也」と注を付けているが、『註解』は本文の中に2行割書きとして「タエナリトハスクレテ/ヲモシロキ哥ト云心也」と追加している。

 この序説の体裁から考えて、おそらく、如儡子の自筆本も、このように第1葉表のノドと上部の余白を利用して「和哥」についてのやや長い注を付していたのであろう。それを『鈔』は忠実に書写したものと推測される。『酔』・『註解』は共に、頭注を序説冒頭の文章と判断して、本文中に組み入れてしまったのであろう。この事は、『酔』・『註解』の自筆本には、それぞれ頭注があったものと思われるが、両者は、自筆本→写本→親本→現存写本の、いずれかの段階で省いてしまったものと推測される。これらの書写状態を総合的に考えると、『酔』・『註解』が、より近い関係にあると言う事が出来る。

 次に、三写本の異同の主なものを、『鈔』→『酔』→『註解』の順で掲げると、以下の如くである。

 @武士の心を→武士を→武士を

 A黄門は中納言の唐名→黄門は中納言のから名→広門中納言の若名

 B中納言の官也→中納言なり→中納言也

 Cくらゐの人迄書べし→位の人をなにの卿と書なり→以来の人を何卿と書也

 D京極黄門→京極黄門→京極光門

 E定家の掛物これなり→定家の掛物是なり→定家掛物是迄

 F通具有家の五人におほせて→通具有家の五人におほせて→道朝在家の五人の仰て

 Gそのいはれは花散葉落て後も実と根とさへ有なればふたゝび若枝を生して花開葉しける物也→其いはれは若枝を生して花さき葉しける物なり→其いわれはわかゑを生して花さき葉しけるもの也

 H世間盛衰の鏡→世間盛衰の鑑→世間せいすいの鐘

 I或ひは世に聞えざる→或は世にきこえさる→世に聞へさる

 J憚られけるにや→はかられけるにや→はかれけるにや

 K作者にかゝはらす→作者にかまはず→作者にかまはす

 L哥読むする人/\→哥よまんずる人/\→哥にまんする人々

 Mこれを案ずるに→是をあんするに→案するに

 N後の人の名付なるにや→後の人の名つけらるにやのちのひとゝは為家なり→後の人の名付成る故也後の人とは為家なり

 右の異同を見ると、@・B・C・G・J・K・Nと『酔』・『註解』共通のものが多く、A・C・D・E・F・Hは『註解』の誤りである。Gは『酔』・『註解』に大量の誤脱があり、Nは、この二写本が為家の事を補っている。これらの異同から考えて、『酔』と『註解』はより近い関係にある事が判り、『註解』は最も劣った文章であると言い得ると思われる。

 

 2、その他の異同について

 

 『鈔』・『酔』・『註解』三写本の関係を明らかにする手段として、『鈔』・『酔』の調査結果を利用したい。具体的な文章はスペースの節約の意味で極力省略するが、『近世初期文芸』第15号を参照して頂きたい。

 

 〔1〕 『酔玉集』の省略・脱落…………34

 『鈔』と『酔』を比較して、15字以上の大量の文章が『酔』で省略または脱落しているのは、34であったが、その内容を分析した結果は、大部分が『酔』の誤脱であった。

 さて、この34の異同の部分を『註解』と比較したところ、

 ◎『酔玉集』と同様に誤脱させているもの……………20

   序説・3・4・7・8・13・15の2・23・25の1・25の2・

   32・34・48・49・58・61・67・85・88・96。

 ◎『百人一首鈔』と同様の文章となっているもの……14

   5・6・10の1・10の2・12・15の1・16・20・31・33・36

   ・53・54・56。

 という結果となった。この34の異同の内、20が『酔』と同様に文章を誤脱させており、14が『鈔』と同様の文章となっている事は、『鈔』┳『註解』┳『酔』の順で劣った文章になっていると言う事が出来ると思われる。

 

 〔2〕 『百人一首鈔』の省略・脱落……23

 この23の異同の部分を『註解』と比較した結果は、次の如くとなった。

 ◎『百人一首鈔』と同様のもの……15

   1・16・20・23・25・31・42・43・50・56・64の1・64の2

   ・69・70・94。

 ◎『酔玉集』と同様のもの…………8

   21・35・38・39・41・45・47・53。

 右の内、1・35・39・45・47・53は『鈔』の誤脱と思われるものである。『註解』がこれらの内、38・39・45・47・53の5箇所が、『酔』と同様になっている事は、それだけ誤脱が少ない事になる。この限りにおいては『註解』の方が『鈔』よりも良い文章であると言える。また、61の1・94は『酔』の文章が重複しているものであり、この部分が『註解』は『鈔』と同様である事は、『酔』よりも『註解』の方が良い文章という事になる。

 これ以外のものは、『鈔』が省略・脱落させたというよりも『酔』または、その原本・親本が書写の折、他の古注等を利用して補った可能性が高いものである。

 一、二、具体的に三写本の本文を掲げてみると次の如くである。

  1 天智天皇

鈔 偖とりあつめいひ続れば秋の田のかりほの庵の笘をあらみとい

  ふ上の句に成也かくいひ続て肝要の所わが衣手は露に澪つゝと

  是をいはん為也されば本屋と云あきの田のかりほの庵の笘をあ

  らみが廊下也畢竟の所は

酔 さてとりあつめいひつゝくれは秋の田のかりほの庵のとまをあ

  らみといふ上の句になるなりかくいひつゝけて肝要の所は我衣

  手は露にぬれつゝと是をいはんためなりされは本屋と云は我衣

  手は露にぬれつゝか本屋なり廊下といふはあきの田のかりほの

  庵のとまをあらみか廊下といふ物なり畢竟の所は

註 扨取集言うつゝくれは秋の田のかりほの庵のとまをあらみと言

  上の句に成也かく言つゝけて肝要の所は吾我手は露にぬれつゝ

  か本屋也廊下と言は秋の田のかりほの庵のとまをあらみか廊下

  也ひつきやうの所は

 この条は、『鈔』『註解』の誤脱であるが、『鈔』は『酔』の2行目の「我衣手」から4行目の「我衣手」に目移りして、その間の21字を誤脱させたもの。『註解』は『酔』の3行目の1つ目の「ぬれつゝ」から2つ目の「ぬれつゝ」に目移りして、その間の28字を誤脱させたものと思われる。如儡子の注釈は、ややくどいと思われる文章であるが、これが、啓蒙期のこの作者の特徴でもある。

  20 元良親王

鈔 拾遺集の詞書にこと出きて後京極のみやすん所へつかはしける

  とありこと出きてとは密通の世間に顕れてと云事京極のみやす

  所は宇多の后の御事みやす所とかきてみやすん所とよむへし

酔 拾遺集の詞書にこといできてのちに京極の御息所につかはしけ

  るとあり是は宇多の御門の御時彼御息所〔時平公母〕に忍ひて

  かよひけるがあらはれてのちにつかはしたる哥なりことのいで

  きてとはくぜちわざはひの出来世間にあらはれてといふ事の御

  息所は宇多の后の御事なりといふ御息所と書て御息所と読へし

註 拾遺集の詞書に事出きて後京極のみやす所はうたのきさきの御

  事みやす所とかきてみや所と読へし

 この条は、『鈔』が誤脱させたというよりも、『酔』が古注等を利用して補った例である。この場合、『鈔』の文章でも支障はないが、『酔』は、

 「是は宇多の御門の御時彼御息所〔時平公母〕に忍ひてかよひけ

  るがあらはれてのちにつかはしたる哥なり」

 を補っている。そして、この部分は、例えば幽斎の注には、

 「是は宇多御門御時彼御息所に忍ひてかよひけるかあらはれて後

  つかはされたる哥なり」(『百人一首注』)

 「是は宇多の御門の御時かの御息所〔時平公女〕に忍ひてかよひ

  けるかあらはれて後つかはしたる哥也」(『百人一首幽斎抄』)

 この如くある。『酔』は、おそらく、これらの注を利用して補ったものであろう。ただし、『註解』は、「みやす所」または「御息所」による目移りの誤脱であろう。

 

 〔3〕 長文の異同……………約80

 『鈔』と『酔』において、序説から順徳院までの中で、比較的長い文章の異同は約80である。この二写本の異同の部分を『註解』と比較してみたい。『鈔』→『酔』→『註解』の順で示す。

 

 ◎『酔玉集』の誤りと思われるもの…………15

1の2 おちぶれ→おほれ→おほれ

5 此哥は秋は→此時分は→此哥は

8 心をやすんじ本分の→心やすく凡夫の→心安く本分の

25 事に用ひてさてあふといふ名とくるといふ名に相応せば→事に

  もちいてあふといふなとさうおふせば→に用ひてあふといふな

  とそうおうせは

35の2 一首の内に云いるゝ事→はむかしの内にいる事→はむかし

  のうちにいる事

48 心をば動きはたらかぬ岩尾に→心はおとろきおとろかぬ岩かわ

  らに→心はおとろきおとろかぬ岩かわらに

55の1 荒果たるといふ心也流てとは滝の水の流る→荒はて流る→

  あれはてたりといふ心也流てとは滝の水によそへて流る

60の1 さぞ心もとなく切にうしろめたくおぼすらん→さこそ心も

  となくせつにおほすらん→さこそ心本なくせつにおほすらん

62の1 内の御物忌に→うちの御物わすれに→うぢの御物わすれに

62の2 彼大納言清少納言のつぼね→かの大納言のつほね→かの大

  納言の局

73 睡赴昭陽淡々……三十六宮→睡赴眼陽淡淡……三十宮→睡赴眼

  陽淡淡……三十六宮

74の1 嵐山颪北気ひかたおなし東風野分凩なとみな風の名也→嵐

  山おろしきたけひがたおなし古事のわけこがらしなとみな風の

  名なり→嵐山おろしきたけひがた同しこちのわけかうしなと皆

  風の名也

75 秋も過たりと云詞→秋もすがたの辞なり→秋も過かたの事也

79 中にもあながち是やと→中にもあがりこれやと→中にもあがり

  これやと

99 神道を崇め仏法を守り聖教を用ひ五つのみちよくかなひ忠孝を

  専とし→神道を守り仏法たつとみせうげうをもちいず五の道を

  払ひ忠切をもつはらとし→神道を貴み仏道を守りせうけうを用

  い五の道をよく叶ひ忠孝を専とし

 『酔』の誤りと思われる、15について『註解』と比較してみたが、これらの内、8・55の1・99の3は『鈔』と同様で正しい文章となっている。また、73は「三十六宮」は正しいが、「眼陽」は誤りであり、74の1は、「東風」→「こち」は正しいが、「こからし」→「かうし」と誤っている。このように、『酔』の誤りと思われるものの大部分は『註解』も誤っているという結果になった。この事は『註解』の文章の優劣に関わる事となる。

 

 ◎『百人一首鈔』の誤りと思われるもの…………3

62の3 秦の始皇帝→秦の昭王→しんのしくわうてい

76の2 勝王閣の賦→滕王の閣賦→滕王閣の賦

96 うやまはれしかども今は年老さらび隠居閉戸の身と成→うやま

  はれしが今は年おひゐんきよの身となり→うやまわれしか今は

  年老隠居の身と成

 右の3の内、『註解』は62の3のみ『鈔』と同じで誤っているが、他の2は『酔』と同様に正しくなっている。

 

 ◎『酔玉集』の文章がやや不自然なもの…………26

 『酔』が誤りとまではゆかないが、やや文章が不自然であり、いずれかと言うと『鈔』の方が良い文章になっていると思われるものは、次の26である。

 4の1・9の1・9の2・10・14の2・21・22・30・31・32・33

 の2・35の1・64・69・71の1・71の2・71の3・77・82・85・

 88の1・88の2・92・94の1・98の2・100 。

 これらの条を『註解』と比較してみると、『鈔』と同様のものは、4の1・9の1・35の1・94の1・100 の5であり、10は、

10 彼相坂の関を通りて行かふ羈人共→かのあふ坂の関のゆきかよ

  ひ行旅人とも→かの相坂の関を通ひ行かふ旅人とも

 とあり、やや『鈔』に近いものと言える。また、77は、

77 川瀬の洲崎などにこれある岩に当りたる水はかならず彼岩にせ

  かれて両方へ別れ流る物也され共又つゐにはかならず流れの末

  にては落合本のごとく一つにながれ合物なれ→

  河の瀬の洲先なとにある岩せかれて両方へわかれてながるゝも

  のなりされとも又つゐには頓て落合てもとのことくひとつに流

  あふものなり→

  川の瀬の洲先なとに有岩にあたる水はかならす岩にせかれて両

  方へわれて流るゝ物也されとも又終にはやかて落あひてもとの

  ことく一つに流逢物也

 とあり、『註解』は、ある部分は『鈔』と、ある部分は『酔』と共通したものとなっている。

 残りの19は、全て『酔』と同様の文章となっている。

 

 ◎『百人一首鈔』の文章がやや不自然なもの……7

 『鈔』が誤りとまでは言えないが、『酔』の方がやさしく、自然な文章になっていると思われるものは、次の7である。

 19・41・43・60の2・65の1・66の2・76の1。

 これらの内、76の1は『鈔』と同様の文になっている。66の2は、

66の2 尤哀たぐひありがたきにや┳尤哀類なき御詠哥なり┳尤あ

  われたくひはありかたき御哥也

 とあり、『註解』の文章は『鈔』・『酔』が混合した形となっている。他の5はいずれも『酔』と同様の文章となっている。

 

 ◎『可笑記』的表現について

1の3 真其ごとく万落魄すたれ行→まことに万おちぶれすたれゆ

  く→寔に万おちふれすたれ行

48 真其ことく本心は本より→寔にそのことくこひはもとより→誠

  に其ことくほいわもとより

77 真其ごとくわが中→そのことくわかなか→其ことく吾なか

59 おもしろき事あつたら物よ→をもしろき事よ→おしきよ

94 何さま此哥は→かやうに此哥→かやうに此哥

 『鈔』には「真其ごとく」「あつたら物よ」「何さま」等『可笑記』の作者がよく使う言葉が使われているが、これを『酔』は他の表現に変えたり省いたりしている。そして、この傾向は『註解』にも言い得る。これは、『可笑記』の、やや特異な表現が『酔』・『註解』によって一般化されている、という事にもなるが、同時に如儡子の著作『百人一首鈔』の原初的な形から離れたものになっているという事でもある。

 

 以上、比較的長い文章の異同に関して、便宜的に幾つかに分けて分析してみた。『酔』の誤り15の内、『註解』が正しいものは3のみで、他は『酔』と同様であり、『酔』が不自然なもの26の内で、『註解』と『鈔』が同様のものは5のみで、他は『酔』と同様であった。『鈔』の誤り3の内、『鈔』と同じもの1、『酔』と同じもの2、『鈔』が不自然なもの7の内、『鈔』と同じもの1、『酔』と同じもの5、両者混合が1、という結果になった。この事実からも判る通り、『註解』の文章は『鈔』と『酔』の両者と共通する点があるが、『酔』と共通する部分が圧倒的に多い。この事は、同時に『鈔』よりも劣った本文であると言う事になる。また、『可笑記』の作者の癖のような表現も『酔』や『註解』では一般的な表現に改められており、それだけ、両者は如儡子の原本から離れたものと言う事になる。

 この外、漢字・仮名の異同、用字の異同、仮名遣いの異同、歌・歌人名等の異同、等もあるが省略する。また、ここでは、『鈔』と『酔』の異同箇所を中心に分析してきた。その他の部分に異同が無い訳ではない。しかし、右の比較で、三写本の関係・優劣を判断するには十分であると考え、これも省略した。

 

  五、ま と め

 

 前述の如く、『百人一首鈔』と『酔玉集』の関係については『近世初期文芸』第15号で分析・考察したが、その結果のみを掲げると以下の通りである。

 

1、『酔』には、34の長文の省略・脱落があるが、これらの内、大部分は『酔』の誤脱である。これは『酔』の本文が、『鈔』よりも劣ったものであるという事になる。

2、『鈔』の省略・脱落は、22であるが、この内『鈔』の誤脱は、6のみで、他は『鈔』の省略というよりも、『酔』が他の注釈書、例えば『百人一首幽斎抄』などを利用して補った可能性が高い。

3、漢字・仮名の異同から、次の事が明らかになった。これは一首から十首までの範囲の中での比較ではあるが、『鈔』が漢字のものが、八三九であるのに対して、『酔』が漢字のものは、二二三に過ぎず、『鈔』の方が、三・七倍の割合で漢字表記が多い。これらの漢字の中には、かなり特異なものも含まれていて、『可笑記』の作者の字使いとも相通じるものがあり、さらに、その漢字のことごとくに振り仮名を施す文章は、仮名草子の作者の著作にふさわしいものである、と言うことが出来る。これらの要素の少ない『酔』は如儡子の原本から、より離れた文章であると言う事が出来る。また、この判断は十一首以降、つまり全体を通してみても、誤りはないものと思われる。

4、漢字の用字の調査結果から、『鈔』には、より特異な用字が多く、『酔』は、やや一般化した文章になっていると言い得る。

5、両書の仮名遣いを比較してみると、『酔』は、いずれかと言うと、表音式仮名遣いを多く使っている。これは、書写年代が『鈔』よりも後という事と関連しているように思える。また、『鈔』は本文・振り仮名を見せ消ちで訂正したところが、かなりあり、これは『鈔』の書写態度が、原本に忠実である事を示している。

6、その他の異同を見ると、一字〜六字という短い語句の比較から、『酔』の誤りが非常に多く、『鈔』の誤りは極めて少ない事が明らかとなった。ここから、『酔』の本文は、『鈔』よりも劣ったものであると言う事が出来る。

7、長文の異同でも、『酔』の誤りが多く、『鈔』の誤りは少ない。これは、やはり文章の優劣を決める根拠となる。また、この異同の部分でも、『酔』は他の注釈書(『幽斎抄』など)を利用して文章を改めたり、補ったりしている。

8、『鈔』の文章の中には、『可笑記』の中でよく使われている語句がしばしば見られるが、これを『酔』は一般的な語句に改めている。『酔』の本文は如儡子の原本から、より離れた文章であると言う事が出来る。

9、歌の比較では、注釈本文程の大きな異同は少ないが、ここでも『酔』の誤りが目に付く。また、『酔』は改稿段階または書写段階で、寛永八年幽斎抄等の刊本を利用した可能性がある。

10、異同関係を記すのに、書写年が『鈔』は寛文二年(一六六二)、『酔』は延宝八年(一六八〇)である事から、『鈔』→『酔』と表記してきたが、異同関係を総合的に考える時、『酔』が『鈔』を書写した事はあり得ないと判断される。従って、当然の事であるが、『鈔』が『酔』を書写する事はあり得ないので、この二つの写本は、別々に如儡子の原本から書写した可能性が高い。

11、「百人一首鈔」という書名は、中世末から近世初期にかけて作られた多くの注釈書に「○○抄」という書名が付けられているが、その流行に従ったものであろう。「抄」とはもともと「抜き書き」の意であったが、中世末に抄物という中国の漢詩・漢籍等に注釈を加えた一群の著作が出された。おそらく最初は原文は抄出であったため「○○抄」としたが、次第に全文に注釈を加えた著作にもこの「抄・鈔」を付けるようになったのであろう。

12、「酔玉集」という書名は、如儡子の命名であろう。書写者が書写した折に付けたとするには、特異な書名であると思われる。如儡子にとって「百人一首」は、和歌の珠玉の集ともいうべき存在であり、それに心を奪われ、多大な労力を注ぎ込んだ著作であった。そんなところからの命名ではないかと思う。

 

 右の『鈔』と『酔』の関係は、これを『鈔』と『註解』の関係に置き換えても、それ程大きな問題はないように思われる。本文の優劣に関しては、『鈔』よりも『酔』・『註解』が劣っているという事は、この度の調査結果からも明瞭である。また、『酔』と『註解』の関係は、乾氏がその解説で指摘される通り、『註解』の書写者は、あまり教養もなく誤写が多い。これらの点も含めて考える時、やはり、『註解』の方が劣った本文という事になる。

 「百人一首註解」という書名であるが、この書名は一般的であり、その意味では、書写者でも付け得るものと思われる。しかし、京大本の書写者は、前述の如く、あまり基礎的な知識もない人物のようであり、あるいは、その親本等の書写者が付けたものであったかも知れない。さらに推測するならば、一本に「百人一首鈔」と付し、他の一本に「酔玉集」と命名した如儡子であってみれば、第三の注釈書に別の書名を付けた、という可能性もないとは言えない。

 

 以上、如儡子の「百人一首」注釈書に関して、『鈔』・『酔』・『註解』の三写本について、その本文異同を中心に考えてきたが、右に分析した結果から明らかな如く、如儡子の「百人一首」注釈の研究は、最も秀れた本文と判断される『鈔』を第一のテキストとして使用する必要がある。本文の優劣からみても、『鈔』→『酔』→『註解』の順序で、次第に劣ったものとなっている。しかし、『酔』も『註解』も、『鈔』を書写したものではなく、それぞれ、如儡子の原本から数度の転写を経て伝えられたものと推測され、時として正し、補う部分もある。研究に際しては、この二写本も十分検討して、併せ使用すべきものと思う。

 『鈔』の本文は、大部分の漢字に振り仮名を施し、上部に十分な余白を設け、ここに詳細な頭注を付加している。注釈本文も頭注もその内容は極めて初歩的で、平明で、啓蒙的である。決して高度な知識人を読者対象としたものではないと思われる。如儡子は、跋文を次のように記している。

 「つれ/\と、なかき日くらし、をしまつきによつて、墨頭の手中よりおつるに、夢うちおとろかし、をろか心の、うつり行にまかせて、此和哥集の、その趣を綴、しかうじて、短き筆に書けがらはし留り。まことに、せいゑい海をうめんとするにことならずや。されば、彼三神の見とがめ、つゝしみおもむけず。且又、衆人のほゝゑみ、嘲をも、かへり見、わきまへざるに似りといへども、さるひな人の、せめをうけ、辞するに、ことばたえ、退に道なくして、鈍き刃に、ちよれきを削り。人、是をあはれみ給へや」

 如儡子は「百人一首」の専門的な研究者でもなく、この注釈書も、高度な知識人に対して、何かを主張しようなどと思っての著作ではなかった。彼と同時代の庶民に、伝統的な和歌の世界を、易しく、分かりやすく紹介しようとしたものであろう。そのために、如儡子は、大変な労力を注ぎ込んだ。全三四二丁の本文の各条に小字で付された頭注。そして、その漢字の大部分に施された振り仮名。私はこの、頭注も振り仮名も如儡子自身の執筆と考えている。仮名草子の代表的な作者、啓蒙期の著者にして始めて成し得た注釈書だと言得るのではなかろうか。

 本書について、田中宗作氏、田中伸氏、野間光辰氏が言及されているが、内容に関しては、ようやく、その緒に就いたばかりである。田中宗作氏は本書の特色として、次の如く述べておられる。

 「かの宗祇抄や幽斎抄などの序説や奥書にあるように、相伝の意義と尊さをあくまでじぶんのよりどころとして、その権威を大上段に、ふりかざして、他見をいましめるがごときことばの片言隻句もないことは、この種の注としては注目すべきことであろう。……(略)……本書の意図したものは、従来の秘伝的、口伝的な束縛を受け、貴族趣味に堕していた百人一首旧注を改めて、わかりやすい百人一首注解を、より一般庶民にも行きわたらせようと童蒙的意図が多分に働いたものと見たいのであるが、果してひが目であろうか。……(略)……以上を要するに、本書の特色と価値は、伝統の旧注の根深い流行の中にあって、啓蒙的な面を開き、これを民衆に、理解しやすい内容に改変して近づけしめんとした点にあるように思う。」

 現在、最も具体的で的確な評価であると思われる。とはいえ、田中宗作氏も、この大部な著作の極わずかな条について論じられたに過ぎない。本格的な研究はこれからである。

 

 注1 @「如儡子の「百人一首」注釈―『酔玉集』の翻刻と解

     題(上)―」(『近世初期文芸』13号、平成8年12月)

    A「『百人一首鈔』(如儡子著)研究序説」(『近世文学

     俯瞰』長谷川強編、平成9年5月8日、汲古書院発行)

    B「如儡子の「百人一首」注釈―『酔玉集』の翻刻と解

     題(下)―」(『近世初期文芸』14号、平成9年12月)

    C「如儡子の「百人一首」注釈―『百人一首鈔』と『酔

     玉集』―」(『近世初期文芸』15号、平成10年12月)

 注2 「『百人一首鈔』(如儡子著)研究序説」(『近世文学俯

    瞰』長谷川強編、平成9年5月8日、汲古書院発行)

 注3 「如儡子の「百人一首」注釈―『百人一首鈔』と『酔玉

    集』―」(『近世初期文芸』15号、平成10年12月)

 注4 荒木尚氏編『百人一首注・百人一首(幽斎抄)』(百人一

    首注釈書叢刊・3、一九九一年10月10日、和泉書院発行)

 注5 ◎田中宗作氏『百人一首古注釈の研究』(昭和44年9月20

     日、桜楓社発行)

    ◎田中伸氏「如儡子の注釈とその意義―『百人一首鈔』

     と『酔玉集』―」(『二松学舎大学論集』百周年記念

     号、昭和52年10月、後『近世小説論攷』昭和60年6月10

     日、桜楓社発行 に収録)

    ◎野間光辰氏「如儡子系伝攷(中)」(『文学』46巻12号、

     昭和53年12月、後『近世作家伝攷』昭和60年12月30日、

     中央公論社発行 に収録)

 

  付   記

 本稿を成すにあたって、水戸彰考館文庫、国立国会図書館、京都大学附属図書館の御所蔵本を使用させて頂き、その写真掲載を御許可頂きました。ここに記して深甚の謝意を表します。

 

 

 

 

(『文学研究』第87号。平成11年4月)

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